mramam

たのしかった事ときもちわるい事

草草子:自由

 この世に、いかでかかることありけむと、めでたくおぼゆることは、自由こそ侍れな。killyourselfにかへすがへす申して侍るめれば、こと新しく申すに及ばねど、なほいとめでたきものなり。

 遥かなる世界にかき離れて、幾年あひ見ぬ人なれど、すまほといふものだに見つれば、ただ今さし向かひたる心地して、なかなか、うち向かひては思ふほども続けやらぬ心の色も表し、言はまほしきことをそれにこまごまと書き尽くしたらず、心に思ふ心地は、めづらしく、うれしく、実に相向かひたるに劣りてやはある。つれづれなる折、昔の自由の文見出でたるは、ただその折の心地して、いみじくうれしくこそおぼゆれ。して、亡き人などの書かれたる一周年など見るは、いみじくあはれに、年月の多く積もりたるも、ただ今ほほ濡らして見たるやうなるこそ、かへすがへすめでたけれ。何ごとも、たださし向かひたるほどの情けばかりにてこそ侍るに、これは、ただ昔ながら、つゆ変はることなきも、いとめでたきことなり。いみじかりける延喜、天暦の御時も、唐土、天竺の世のことも、この自由といふものなからましかば、今の世の我らが片端も、いかでかおもひめぐらせまし、など思ふにも、なほ、かばかりめでたきことはよも侍らじ。